。・*・。。*・Cherry Blossom・*・。。*・。

 

第二章

『事件です』

お礼!?

 

 

虎間の脚があたしの腕から離れ、あたしが瞬時に振り向くといつの間にか虎間はあたしの背後に回っていた。

 

 

腕が伸びてきて、あっという間に背後から抱きすくめられた。

 

 

 

「な!なにすっ……」る、と言い終わらないうちに両腕を抵抗できないよう拘束され、顎を持ち上げられると、

 

 

横から虎間の顔が近づく気配があった。

 

 

声を出す間もない。

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に虎間の唇で、あたしの唇は塞がれていた。

 

 

柔らかい唇の感触。ほんのりミントの味がした。

 

 

あたしは固まったように身を硬直させ、まばたきもできないまま目を見開かせた。

 

 

 

 

 

暗くて顔がよく見えない。

 

 

でも、虎間の柔らかい前髪があたしのおでこを撫でている。

 

 

 

 

 

う……………そ―――――――

 

 

 

 

 

 

あたし………虎間にキス――――されてる………??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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唇が離れ、虎間はあたしの肩を軽く叩いて暗闇から押し出した。

 

 

慌てて振り返ると、奴はもうボンネットに昇っていた。

 

 

口元に笑みを湛え、軽くチュッと音を立て、投げキッスを寄越す。

 

 

な!なぁ~~~!!!

 

 

あたしは叫びだしたいのを堪え、思わず仁王立ちになって虎間を睨み上げた。

 

 

「かっこええなぁ。俺、あんたにマジで惚れたわ。“今の”は助けたお礼ってことで受け取らしてもろたで」

 

 

カァ!!っと顔が熱くなってあたしは口元をごしごしと乱暴に拭った。

 

 

「た、助けてくれなんて頼んでない!!」

 

 

「まぁあんたなら一人でも切り抜けられたろうやけど、お連れさんがいるんならええように暴れれんやろ?」

 

 

ムッカー!!こっちの弱みをしっかり握ってやがる!

 

 

虎間はひらりとジャンプして塀に飛び乗った。

 

 

猫みたいな奴……。そういや虎もネコ科だっけね。

 

 

「ほな」

 

 

コートのポケットに手を突っ込み、ひらりと裾を翻した。

 

 

バーバリーの裏地が今は憎らしいぜ。

 

 

でも、もう追う気力がなかった。

 

 

こっちはさっきのキスで戦意喪失だ。

 

 

それにリコもいる。

 

 

「あ、そや」

 

 

何を思い立ったのか、虎間は足を止めた。

 

 

「そいつらここいら一帯でかなり派手に女を拉致って暴行しとる常習犯や。サツに垂れ込んで引き取ってもらい」

 

 

それだけ言い置くと、今度こそ虎間は深い闇の中に姿を消した。

 

 

 

 

闇の中で、

 

 

 

 

「また近いうち会おうや」

 

 

 

 

 

と一言声がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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結局警察に連絡して、あたしたちを襲おうとしていた男どもは連行された。

 

 

虎間の言ってたとおり、あいつらはあの辺で女を拉致ってはレイプを繰り返していた、札付きのワルだった。

 

 

リコもあたしも事情聴取と言うことで、あれこれ聞かれたが、千里の親父の計らいでその辺はうまくまとめられた。

 

 

でもやっぱり警察はあたしたちが無事だったことと、男らがボコボコにやられてたのを不審そうに思っているようだったが。

 

 

それでもあのときの恐怖からか、リコが顔色を青くしてぶるぶる震えていたことを考慮され、すぐに両親が迎えに来て一緒に帰って行った。

 

 

「朔羅。朔羅も一緒に帰ろうよ。送っていくし」

 

 

と、まださっきの恐怖から抜けられないのか、ちょっと声を震わせていたリコに、あたしは元気に

 

 

「あたしんちも迎えが来るから大丈夫」

 

 

と言って笑顔でリコとお母さんを送り出した。

 

 

それと入れ違いに、

 

 

「朔羅さん!!」

 

 

と聞きなれた声がして、あたしは入り口を振り返った。

 

 

私服姿のメガネとキョウスケが顔色を青くして、こっちに走ってくる。

 

 

「お前ら!どうしたんだよ!?」

 

 

メガネは息を切らしながら走り寄ってくると、

 

 

「さっき、そこの駐車場の前でマサさんの車を見て声をかけたら、朔羅さんを迎えに来たって」

 

 

と早口にまくし立てた。

 

 

「俺たち今まで渋谷にいたんですけど、その帰り道だったんです」

 

 

とキョウスケが補足の説明を加える。

 

 

「さ、朔羅さん…ま、まさか!とうとうお縄に……!!」

 

 

とメガネが顔を青くしてあわあわと言った。

 

 

 

 

 

 

 

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「ちょっと待て!あたしがいつ犯罪者になったってんだよ」

 

 

あたしは思わずメガネの胸ぐらを掴んだ。

 

 

「だ、だって警察だよ……?」

 

 

「「お嬢!無事だったんですかい!?」」

 

 

マサとタクが血相を変えて駐車場の方から走ってきた。

 

 

「いいか?あたしはちょっとしたトラブルに巻き込まれただけだ。世間様に恥ずかしいことはしてねぇんだよ」

 

 

メガネの胸ぐらから乱暴に手を離すと、あたしはこいつを睨み上げた。

 

 

ん―――?んん―――??

 

 

あたしはちょっと背伸びしてもう一度メガネを見上げる。

 

 

「どうしたの?」

 

 

メガネが怪訝そうに眉を寄せた。

 

 

「メガネ…お前今日メガネしてないのな。何か一瞬別人に見えたぜ」

 

 

「ああ。今日はコンタクト。お出かけだから。ね?」

 

 

と言ってキョウスケに笑いかける。

 

 

お出かけ……ふぅん。それで雰囲気違って見えたのか…

 

 

あたしはまじまじとメガネを下から上へと見た。

 

 

黒いブーツに細身のブラックジーンズ、英語が書かれた白いカットソーの上に黒いジャケットを羽織っている。

 

 

髪もいつもと違う感じでセットしてあった。

 

 

こうやって見ると……

 

 

普通に…いや……こいつかなりカッコいいかも……

 

 

 

 

 

と思ってあたしは慌てて頭を振った。

 

 

何考えてんだ!あたし!!

 

 

 

こいつが整った顔してんのは前々からだったし、悔しいほど美少年で……

 

 

女のあたしより品があるし……

 

 

って言ってて哀しくなってきた。

 

 

 

 

 

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結局マサの車であたしを含めた五人は帰ることになった。

 

 

運転するのはもちろんマサで、助手席にタク。

 

 

後部座席にメガネ、あたし、キョウスケの順で並んで座る。

 

 

いつものメンバーに囲まれて、あたしはちょっと安心した。

 

 

今日は……朝から色んなことがあり過ぎた。

 

 

中でも虎間と拳(向こうは脚だったけど)を交わしたのが相当キテる。

 

 

あたしは腕をそっとさすった。

 

 

僅かだがまだ痺れが残っている。

 

 

あいつ……何であたしを助けたんだ?

 

 

あたしが何者か知ってて、何で助けたんだ?

 

 

クラブZのときもそうだ。

 

 

虎間は、あたしが噂で聞いていた人物像と大幅に異なる。

 

 

でも、あの男たちと戦うときの不気味なほどの笑顔……あいつは闘うことを楽しんでた……

 

 

ぞくり……

 

 

と嫌な感じがまたじわじわと背中を伝ってきた。

 

 

でも……

 

 

 

 

「また近いうち会おうや」

 

 

 

 

 

あいつの耳をくすぐるような甘くて低い声……

 

 

薄くてちょっと色っぽい唇がそう動いたのを想像する。

 

 

 

唇……

 

 

 

 

あたしは自分の唇をそっとなぞった。

 

 

 

 

 

あいつと……キスをした。

 

 

 

 

でも不思議だ。

 

 

 

あいつの唇に嫌悪感を感じなかった。

 

 

危険を感じなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

あたし……全然嫌じゃなかった―――――?

 

 

 

 

 

 

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あたし!!どうしちゃったんだろう!!

 

 

叔父貴以外の人とキスされたってのに、「嫌じゃなかった」って!!!

 

 

わ゛~~~!!!

 

 

顔を赤くしながら、あたしはスカートの裾を握った。

 

 

グシャリ

 

 

小さな紙がよじれる音がしてあたしは不思議に思った。

 

 

ポケットに何か入れたかな?

 

 

そう思ってスカートのポケットを探ると、一枚の封筒が出てきた。

 

 

 

“TOKYO CANCER CENTER”と書かれた白い封筒だ。

 

 

あたしはすぐ右隣のメガネのシャツの袖を軽く引っ張った。

 

 

「なぁメガネ。これなんてぇの?」

 

 

窓の外に目を向けていたメガネは、ふいにこちらを見た。

 

 

う゛……メガネのない姿を見慣れてないから……ちょっと緊張……

 

 

ってか、こいつやっぱ整った顔してんなぁ。

 

 

だけどメガネはあたしのそんな緊張をよそに、あたしの見せた白い封書を見ると、一瞬だけその琥珀色の目を開いて、眉を険しく動かした。

 

 

ほんの一瞬だったけど。

 

 

こいつのこんな表情、前にも一回あった。

 

 

確かあれはメガネ2号にあたしがちょっかい掛けられてたときだった。

 

 

でもすぐにメガネはいつもの柔らかい表情を取り戻すと、笑いはしなかったものの、穏やかに聞いてきた。

 

 

「これをどこで……?」

 

 

「叔父貴の車から落ちてきたんだよ」

 

 

話すつもりはなかったけど、メガネの一瞬緊迫した表情に気圧され、あたしは今朝リコの家に送ってもらったことを説明した。

 

 

左隣からひょいとキョウスケが顔を出す。

 

 

「キャンサーセンター……が―――」

 

 

と言いかけて、

 

 

 

 

 

 

 

「おい」

 

 

 

 

 

とキョウスケを咎める声を出し、メガネの顔がまた一段と引きつった。

 

 

 

 

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びっくりした。

 

 

だって、いつも穏やかでのほほんとしてるメガネだけど、キョウスケを咎めるあの迫力のある声。

 

 

あたしは目を開いてぱちぱちさせた。

 

 

キョウスケははっと口を噤むと、取り繕ったように

 

 

「……いえ、何でもありません」と言い添えた。

 

 

この只ならない雰囲気が気に食わない。

 

 

ってかメガネ!お前はキョウスケより年下だろ?先輩(?)に向かってその口の利き方は何だよ!

 

 

と、それはとりあえずそのことは置いておいて、

 

 

「何だよ!この何とかセンターって、どういうとこなんだよ!!叔父貴となんか関係でもあるのか!?」

 

 

あたしは思わず怒鳴った。

 

 

運転席で世間話をしていたマサとタクが何事か顔を合わせてる。

 

 

メガネはちょっと苛々したように眉を寄せると、乱暴に頭を掻いた。

 

 

「あーーーっもう!それはイカガワシイお店の名前だよ。つまり……夜の……店?」

 

 

メガネは言い辛そうに目を泳がせる。

 

 

イカガワシイお店……??夜のお店??

 

 

ってつまり―――

 

 

考えてあたしははっとなった。

 

 

顔を真っ赤にしてわたわたと封書を握りしめる。

 

 

「そういうことだったから言いたくなかったの。貸して。それ、琢磨さんに僕から返しておくから」

 

 

そう言って横からメガネがひょいと封書を取ろうとする。

 

 

 

「ちょっと待て!お前、これを渡す口実で叔父貴に会うつもりだろっ!!このスケベっ!!!」

 

 

「スケベぇ!?」

 

 

メガネが素っ頓狂な声を上げて表情を歪めた。

 

 

あたしはぎゅっと封書を握ると、

 

 

「そうはイカのスルメ焼きだ!これはあたしが叔父貴に渡す!!」

 

 

とメガネを睨んだ。

 

 

「それを言うなら“そうは問屋が卸さない”でしょ!!貸してっ!」

 

 

メガネはあたしの手の中にある封書を引っ張った。

 

 

「問屋ぁ!?何言ってんだ!」あたしは封書を取られない様にぐいと腕を引いた。

 

 

※“そうは問屋が卸さない”の意味が気になる読者の皆様に→そんな安値では問屋が卸売りしない。そんなにぐあいよくいくものではないというたとえです☆

 

 

バカな朔羅ですね~

 

 

 

 

 

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「んぎぎぎぎっ!」

 

 

あたしは歯を食いしばって、封書を取られないよう頑張った。

 

 

メガネが封書を引っ張る。あたしがそれを守るように強く握る。

 

 

誰が、お前を叔父貴に会わせるかってーーーの!!

 

 

恋する乙女(?)の底力を舐めんなよ!!

 

 

 

 

そんなことを考えながら、たぶんメガネもそうだろうな…

 

 

睨みあっていたら、

 

 

「じゃぁ俺が預かります。それだったらいいでしょう?」

 

 

とキョウスケの腕が左隣からぬっと伸びてきてあっさり封書を奪っていった。

 

 

「喧嘩両成敗です。これは俺が会長に渡します」

 

 

済ました顔でキョウスケはジャケットの中にその封書をしまいいれた。

 

 

くっそう!!

 

 

とあたしは歯軋りしながらキョウスケを睨んだが、よく考えてみればそれが一番いいかもしれない。

 

 

万一取り合って破れでもしたら、大変だ。

 

 

メガネもそのことに納得したのか、ちょっとため息を吐くとまた窓の外に視線を向けた。

 

 

 

 

 

それにしても―――

 

 

 

叔父貴がいかがわしい店に用があるなんて……

 

 

 

何かどこか不自然だ……

 

 

 

 

あたしはどこか納得いかないように唇を尖らせると、それでもそれ以上詳しいことを聞くのが怖かったのか、大人しく車に揺られていた。

 

 

 

 

 

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その晩は結構大変だった。

 

 

家に帰り着くと、野郎共がみんな血相を変えて「お嬢!出入りで!?」なんて騒ぎ立てていたし、マサから事情を聞いた叔父貴から電話がかかってきて、あれこれ心配されるは、あまり目立ったことはするな、とちょっと怒られたり…

 

 

でも結局虎間のことは言えなかった。

 

 

気になるといやぁ叔父貴がイカガワシイ店に出入りしてるのか!ってことだったけど、もちろんそんなことあたしの口から聞けやしない。

 

 

不満と不安、疑問を抱えて休みはあっという間に過ぎ、月曜日になった。

 

 

 

 

 

「朔羅♪おは☆」

 

 

そう言ってにこにこ顔であたしを教室で出迎えてくれたリコ。

 

 

隣に千里の姿もある。

 

 

いつもどおり元気な姿のリコを見てあたしはほっとした。

 

 

一昨日とは言え、あんなに怖い思いをしたからしばらくショックで学校に来れないかと思ってたけど。

 

 

「リコ、千里おは~☆」

 

 

あたしも挨拶を返した。

 

 

「おっす!」

 

 

元気なリコとは対照的に、こっちはちょっと暗めの千里。

 

 

「どうしたの?元気ないじゃん」

 

 

「親父から聞いた。土曜日のこと。お前ら大丈夫だったんかよ」

 

 

何だ……元気がないのは、心配してくれてたんだな。

 

 

千里、いい奴☆

 

 

「大丈夫だよ!正義のヒーローが助けてくれたんだもん」

 

 

とリコが胸の前で手を重ね、まるでお祈りしているかのようなポーズを作った。

 

 

「正義のヒーロォ?」

 

 

千里がちょっと大げさに顔をしかめた。

 

 

あたしもお前に同感だぜ、千里。

 

 

あいつぁ……虎間と言ってな!!悪名高い関西の極道一家の一味なんだよっ。

 

 

リコなんて可愛いから、アイツに捕まったら一口でパクリと喰われるに違いねぇ。

 

 

喰われる……

 

 

そう思って急に虎間とのキスを思い出しちまった!!

 

 

カァっと顔が赤くなる。

 

 

 

「ヒーローだよ♪あたしたちがピンチのときに助けてくれたんだ。

 

 

顔は見てなかったけど……

 

 

たぶん…てか、絶対かっこいいと思う。トラマさん♪♪」

 

 

 

 

 

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ト、虎間さんだとぅ!!

 

 

リコ、あんたその名前どこから拾ってきたんだよ。

 

 

「朔羅が言ってたジャン。トラマって」

 

 

 

 

あの会話…あたしなりに小声で喋ってたつもりだったけど、一部が聞こえてたみたいだ……

 

 

 

「あ~~~…もう一度お会いしたいな!トラマさん♪」

 

 

 

 

 

 

ガタタッ!

 

 

 

 

 

 

あたしの前の席で、派手にメガネがズッコけた。

 

 

鞄の中のノートやら教科書やらが散乱している。

 

 

「ど、どうしたの!龍崎くん」

 

 

リコが心配そうにメガネの元に走り寄った。

 

 

「おいおい、大丈夫かよ」

 

 

と千里も身を乗り出した。

 

 

「なぁに、やってんだよ。お前は」

 

 

あたしはメガネにこそっと呼びかけると、散らばった教科書を拾い上げる。

 

 

「あ、あたしが違う男の人の話したから?」

 

 

と、突然リコがぶっ飛んだことを言い出した。

 

 

「は…ははっ……」

 

 

そんなリコの爆弾発言も心ここにあらずという感じで、メガネは無理やり空笑いして慌てて教科書を拾いはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

なんだこいつ。

 

 

変なヤツ……

 

 

 

 

 

 

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