。・*・。。*・Cherry Blossom・*・。。*・。

 

第二章

『事件です』

*戒Side*

 

******************

 

 

 

区役所の住民課をとぼとぼと肩を下げて去っていく朔羅。

 

 

俺は柱の影に身を隠し、その様子をじっと窺っていた。

 

 

「これでいいの?ぼーや」

 

 

受付の女が俺に声を投げかけてくる。

 

 

「うん♪ありがと」

 

 

俺は柱からひょっこり顔を出すと、受付のお姉さんににっこり笑いかけた。

 

 

女がちょっと顔を赤らめる。

 

 

「でも……いいの?あの子…随分気落ちしてたわよ」

 

 

ホントはお姉さんの言った住民票も、印鑑証明も必要ない。

 

 

血縁関係を証明できる保健証とかと印鑑があれば充分閲覧可能だ。

 

 

「ごめんね?嘘着かせちゃって…。僕、彼女の兄なんだけど、僕が養子だって知ったら彼女ショック受けるでしょう?最近、僕が本当の兄さんじゃないって疑ってて…それで……」

 

 

俺は顎を引いてちょっと上目遣いでお姉さんを見た。

 

 

「…いいのよ!そんなっ」

 

 

お姉さんは俺の演技にすっかり騙されて、ちょっと涙ぐんでさえいる。

 

 

悪りぃな。今戸籍謄本を見られるわけにゃ行かないんだ。

 

 

俺の転籍前の名字や所在を知られるわけには行かないんでね。

 

 

「お姉さん、協力してくれてありがとね☆」

 

 

俺は軽くウィンクをすると、軽やかに立ち去った。

 

 

 

 

 

P.255


 

 

「チョロい」

 

 

ふふんと鼻を鳴らし俺は区役所の階段を降りた。

 

 

しっかし……

 

 

「朔羅もしつけぇな」

 

 

俺が虎間かどうか―――ここ最近あの手この手で探ってきてやがった。(響輔にまで探りを入れやがって)

 

 

何とかかわしたけど……まさかここまで来るとはなぁ。

 

 

誰かに入れ知恵されたに違いねぇ。

 

 

今日帰るとき朔羅の様子がおかしかったから、先回りして手を打っといて良かったぜ。

 

 

「さて―――…っと」

 

 

俺はポケットに手を突っ込むと、一枚の封書を取り出した。

 

 

TOKYO CANCER CENTERと書かれた白い封書だ。

 

 

「今度はこっちか」

 

 

まったく……手のかかる二人だぜ。

 

 

 

 

―――

 

 

俺はその足で龍崎 琢磨の会社に向かった。

 

 

ここの受付嬢はみんな綺麗どころだ。

 

 

おまけに親切♪

 

 

俺が「龍崎会長にお会いしたいんですが…」なんておずおずと言うと、

 

 

「あら♪この間の…」と言って簡単に会長室に案内してくれた。

 

 

俺がノックもせずに入ると、

 

 

すでに会長室にいた龍崎 琢磨とその側近、鴇田(トキタ)がはっとして俺の方を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.256


 

 

青龍会傘下、鴇田組十五代目組長―――鴇田 翔(トキタ ショウ)

 

 

龍崎 琢磨の会社で、経理部を統括している常務取締り役兼秘書的な仕事をしている男だ。

 

 

マネーロンダリングのプロで、青龍会の金庫番とも言える男。

 

 

以前朔羅がこいつのことを蛇田(ヘビタ)と呼んでいた。

 

 

切れ長の鋭い目は、威嚇するときの蛇そっくりだからだとか…

 

 

なるほど、そっくり……とは言えないけど、雰囲気だけは伝わる。

 

 

俺もこいつ嫌い―――

 

 

何か裏がありそうで、何か企んでいそうで、気を許せない。

 

 

まぁここは敵の陣地だ。

 

 

気を許せる相手なんて響輔と―――

 

 

朔羅以外いないが。

 

 

 

 

 

「何だ戒?今日は約束してたか?」

 

 

龍崎 琢磨が鋭い視線で俺を見る。

 

 

眉間に寄せた皺から察するに、ここで鴇田と内密な話をしていたわけだ。

 

 

「ちょっとね」

 

 

俺は肩を竦めて見せた。

 

 

龍崎 琢磨は軽くため息を吐くと、鴇田に目配せする。

 

 

「鴇田、外せ」

 

 

「は」

 

 

言葉も少なめに鴇田が去っていく。

 

 

去り際にちらりと俺を見て、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

龍崎 琢磨とは絶対的な主従関係にありそうだが……

 

 

 

気が抜けねぇな。

 

 

 

 

 

P.257


 

鴇田が会長室から出て行くのをきっちり見届けると、

 

 

バン!

 

 

俺は龍崎の会長机に例の白い封書を叩き付けた。

 

 

「……これは…」

 

 

龍崎が目を開いて、封書と俺との間で視線をいったりきたりさせている。

 

 

「朔羅が持ってたぜ。危うくバレるところだったけど、何とか言い訳して取り返した。ったく、しっかりしろよ。迂闊なことするんじゃねぇ」

 

 

「これを……朔羅が…」

 

 

「安心しな。あいつぁ何にも気付いてねぇよ」

 

 

ってか単にCANCER CENTERの意味が分からなかったってだけで…

 

 

「あいつがバカで助かった」

 

 

ふうと小さくため息を漏らして腕を組む。

 

 

「貴様!朔羅をバカ呼ばわりするな!!」

 

 

龍崎がドスを利かせた声を上げて、勢い込んだ。

 

 

「バカな子ほど可愛いって言うじゃん。ま、幸いにもあいつは今そのことをすっかり忘れて他のことに夢中だけどな……」

 

 

「他のこと?」

 

 

俺は腕を解くと、ちょっと首を傾けて上目遣いで龍崎を見た。

 

 

龍崎が一瞬怪訝な表情を浮かべてたじろぐ。

 

 

ひるんだところですかさずにっこり笑顔。

 

 

 

 

 

 

秘儀!!

 

 

無邪気スマイルだっ。

 

 

 

 

 

「えへっ?もしかして俺の正体バレちゃったかも~♪」

 

 

 

 

 

 

 

P.258


 

 

 

「貴様~~~~~!!!」

 

 

会長室が壊れるかと思うほどの怒号を鳴らして、龍崎の雷が落ちた。

 

 

ちっ。

 

 

やっぱこいつには俺の必殺技が通じなかったか。

 

 

「まぁいいじゃん♪まだ完全には気付いてないって。疑ってるって言った方が正しいのかな?」

 

 

俺の言い訳に龍崎は深~くため息を吐いて、上質な革の回転椅子に腰を落とした。

 

 

「戒………お前は賢い子だ。もっと上手く立ち回れるかと思ったけど」

 

 

「目測を誤った?俺だってもっとうまく立ち回れる筈だったんだよ」

 

 

俺は笑顔から真顔に戻ると、再び腕を組んでどでかい机に寄りかかった。

 

 

時期が来るまで……

 

 

正体を隠し通せる絶対的な自信はあった。

 

 

でも―――

 

 

 

 

 

朔羅と川上 理子の後を尾けたのは、単にあいつらが変なヤツに絡まれないか心配だったからだ。

 

 

世の中ブッソーだからな。

 

 

朔羅は……一人だったら、痴漢でも強姦魔でも誘拐犯でも追い払えるだろうが、川上 理子が一緒だった。

 

 

必死に正体を押し隠してる朔羅は当然身動きが取れるわけでもなく、それでも川上を守ろうと必死だった。

 

 

朔羅が悪者に連れて行かれる……

 

 

ことよりも、他の男に触れられることが―――俺には許せなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

だから正体がバレるのを覚悟で、助けた。

 

 

 

 

 

 

P.259


 

 

朔羅は―――

 

 

あいつが戦う姿を見たのはこれが始めてだった。

 

 

あいつはまるで龍が舞うがごとく、素早く力強く、優雅だった。

 

 

俺はあんな風に闘う人間を見たことがない。

 

 

 

美しく、気高い―――絶対的な――

 

 

 

王者、伝説の黄龍―――

 

 

 

 

正体がバレるって言っても、俺はいつまでも隠し通すつもりはない。

 

 

どうせいつかバレるんだし。

 

 

それに最近あいつの前で自分を偽ってるのが、ちょっと苦しいんだ。

 

 

あいつに……

 

 

嘘で固めた俺じゃない、ホントの俺を知ってほしい。

 

 

それで嫌われようと避けられるようと、構わない。

 

 

そんな風に思うようになったのはいつ頃からかな……

 

 

 

 

 

だからキスした―――?

 

 

 

いや、キスしたのはそんなのが理由じゃない。

 

 

 

もうずっと前からしたかった。

 

 

 

柔らかそうなあいつの唇に触れたかった―――

 

 

 

 

 

 

 

「まぁしっかりバレたわけやないし、お小言はあとできっちり聞くから今回は堪忍して?」

 

 

俺は顔の前で手を合わす。

 

 

再びにっこりスマイル。

 

 

龍崎が顔を歪めて、たじろいだ。

 

 

今度は効いた様だ。親しみを込めた関西弁とダブルで効いたか?

 

 

ってか、俺が助けた理由をこいつは知ってるから、公に怒りを表せないってとこが本音だな。

 

 

もちろん朔羅とキスしたなんてこいつには言ってないけど。

 

 

 

 

 

リリリリリ…

 

 

デスクに置いた電話が鳴り出して、龍崎はまだ怒り顔のまま渋々電話に手を伸ばす。

 

 

 

 

 

P.260


 

「何だ?今取り込み中だ」

 

 

不機嫌そうに顔を歪めて電話口に出る。

 

 

「―――分かった。繋げてくれ」

 

 

ちょっとの沈黙。きっと外線を繋げている最中なのだろう。

 

 

「―――龍崎です。どうもご無沙汰しております」

 

 

次に口を開いたときは丁寧な口調だったけど、表情は険しい。相手に気を許していない感じだ。

 

 

少しの間「ええ」とか「そうですね」とか相槌を打っていたが、急に表情ががらりと変わる。

 

 

龍崎をとりまく空気に不穏な何かが纏わりついている。

 

 

 

「―――何!?」

 

 

眉間の皺をより一層深く刻んで、切れ長の目を吊り上げた。

 

 

「…ええ、分かりました。その件はまた後ほど」

 

 

緊迫したままの口調で通話を終えると、龍崎は受話器を置いた。

 

 

険しい顔をしたまま、俺をじろりと睨む。

 

 

「……どないしたん?」

 

 

あまりに緊迫と怒気を含んだ表情だったので、俺は思わず計算なしで故郷の関西弁が出てしまった。

 

 

「島根県出雲の、鷹雄(タカオ)不動産がパクリ屋にやられた。手形(*①)が飛んで(不渡り)になって事実上の倒産だ。

 

持ちビルも抵当権(*②)に入っているらしい。

 

 

やったのは―――朱雀会だ」

 

 

 

*①一定の期日に一定の金額を支払うことを約束する形式の有価証券のこと

 

*②早い話、担保物件

 

 

 

「鷹雄……」

 

 

俺は眉をピクリと動かした。組んだ腕に力が入る。

 

 

「鷹雄組は白虎会直系だったよな。おめぇんところのシマだ」

 

 

「正確には親父の…な」

 

 

 

 

 

親父……へたうって(失敗して)もうたな。

 

 

 

 

 

 

 

P.261


 

 

じわりじわりと、何かが地を這ってすぐ足元まで迫ってきてくるようなこの気持ち悪さ。

 

 

大々的に戦争をしかけてこないところから、気味の悪さを窺い知れる。

 

 

「急がんと……取り返しのつかんことになるで」

 

 

俺は龍崎を睨み見た。

 

 

「お前に言われなくても分かってる」

 

 

顔に出た苛立ちを隠さないで、龍崎が睨み返してくる。

 

 

手に握られた白い封書がぎりりと音を立て、ぐしゃりと潰された。

 

 

 

 

 

急がないと―――

 

 

早く、早く、早く!…………時間がない―――

 

 

 

 

 

口には出さなくても、龍崎はそう言っているように見えた。

 

 

龍崎は…時期を見ると言っている。

 

 

それを心の定規で測っている最中だ。

 

 

正確な定規も…………見る目が誤ったら、測り間違えることだってある。

 

 

 

 

四神の頂点に立つ黄龍でさえも―――

 

 

 

 

でも

 

 

ふとした瞬間に思うことがある。

 

 

測り間違えてるのは龍崎ではなく

 

 

 

 

 

 

俺なんじゃないか…………と。

 

 

 

 

 

 

今更盃の件がこいつがでっちあげた嘘の話だとは思わない。

 

 

青龍会だって、今や勢いを増した玄武に押されてヤバイって話だからな。

 

 

 

 

 

でもそれ以外に―――

 

 

 

 

こいつは俺に何か隠している。

 

 

 

 

 

そう思えてならない。

 

 

 

 

 

 

P.262


 

――――

 

龍崎組に帰り、俺は響輔の部屋に一直線。

 

 

な、筈だったがこいつの方が一足早く俺の部屋の前で待っていた。

 

 

「何だよ。入って待っててくれれば良かったのに」

 

 

ちょっと笑うと、響輔も同じように苦笑いを返してきた。

 

 

「今日、会長のところに行ったのでしょう?例のキャンサーセンターの封筒無事に渡りましたか?」

 

 

「おう。無事無事~」

 

 

軽く言って、響輔の肩に手を置く。

 

 

そして顔を寄せると、こいつの耳元に口を近づけて俺は囁いた。

 

 

「それより、鷹雄が啼いた(倒産した)。手形が飛んだんだ。パクリ屋にやられたらしい」

 

 

響輔は俺の言葉に短く頷くと、

 

 

「さっき聞きました」とこれまた短く返事を返してきた。

 

 

でも発音が微妙に標準語じゃない。

 

 

こいつは、こいつなりにやっぱり動揺を隠せない様子だ。

 

 

「安心しな。仇は俺が取ってやんよ。百倍返しでな」

 

 

クスっと響輔が小さく笑って、

 

 

「ええ、期待してます。でも鷹雄は不動産だけじゃないんで、大丈夫ですよ」

 

 

「手広くやってるもんなぁ」

 

 

「手を出しすぎてへたうたなきゃいいんですけど」

 

 

「まぁ大丈夫やろ?」

 

 

能天気に言って、響輔の肩をバンバン叩く。

 

 

 

 

 

そのときに気付いた。

 

 

風に乗って―――あの香り………

 

 

 

チェリーブロッサムがほのかに香ってきたのを―――

 

 

 

 

 

P.263


 

 

―――朔羅………?

 

 

気配はしねぇけど、あいつが近くにいるのは間違いねぇ。

 

 

俺は鼻が利くんだ。響輔は気付いてないみたいだけど。

 

 

ったく。いつまで疑ってやがんだ、アイツは。

 

 

「響輔顔貸せ」

 

 

俺は響輔に耳打ちすると、響輔は何事かという感じで首を捻った。

 

 

「いいから言う通りにしろ」

 

 

俺は乱暴に響輔の顔を両手で挟むと、強引に響輔の唇を奪った。

 

 

 

「――――!!」

 

 

声にならない悲鳴を上げて、ドスドスと廊下を歩いてくる音が近づいてくる。

 

 

と思った次の瞬間

 

 

スパーン!!!

 

 

何かで思いっきり頭をはたかれた。

 

 

 

 

「メガネてめっ!い、家の中で不純同姓交遊すんじゃねぇ!!」

 

 

 

朔羅の怒鳴り声で、俺は響輔から唇を離した。

 

 

朔羅はアザラシのぬいぐるみを手に、ぜいぜい肩を揺らしながら仁王立ちになっている。

 

 

可愛い朔羅。

 

 

これぐらいで真っ赤になっちゃって♪

 

 

「じゃぁ異性だったらいいの?」

 

 

俺はちょっと意地悪く微笑むと、朔羅の顎に手をかけた。

 

 

「い!いいわけないだろが!!!」

 

 

盛大に怒鳴り声を散らして、朔羅はまたドスドスと足音を荒げて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

P.264


 

 

俺の足元には朔羅が忘れていったアザラシのぬいぐるみが落ちていた。

 

 

朔羅はこのアザラシを大事にしてるみたいだ。

 

 

龍崎 琢磨から貰ったものだからだろうか。

 

 

俺が選んだのに…あいつは“マクラ”なんてけったいな名前つけやがって大事にしてる。

 

 

俺はマクラを拾い上げると、響輔を見た。

 

 

「悪りぃな」

 

 

と謝ったが、響輔は顔を青くして口元をごしごし拭っている。

 

 

「だから謝っただろうが!!」

 

 

俺は怒鳴ったけど、こいつの顔を見て、またこいつも俺の顔を見て

 

 

二人して

 

 

「「おえ゛~~~」」

 

 

と苦い顔をして叫んだ。

 

 

誤解しないでほしい。

 

 

俺と響輔は正真正銘のストレートだ。

 

 

 

 

消毒代わりにマクラに顔を近づけると、チェリーブロッサムの香りが香ってきた。

 

 

甘くて爽やかで……

 

 

朔羅そのものだ。

 

 

 

 

 

俺はこの香りがすると

 

 

自然に目が朔羅を探してしまう。

 

 

見つけると幸せな気持ちになる。

 

 

それであいつが笑うと、

 

 

 

 

俺はもっと幸せ。

 

 

 

 

 

青龍とか黄龍とか、組とか、跡取りとか色んな話が渦巻いてるけど……

 

 

 

 

そんなん抜きで―――俺はあいつが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きだ。

 

 

 

 

 

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