。・*・。。*・Cherry Blossom・*・。。*・。

 

第一章

『出逢ってしまった』

ライバル!?

 

食事の後片付けも終えて、風呂に入ってなんてしてると時間はもう夜の12時を回っていた。

 

 

あたしはホットココアを手に、部屋の前の板張りの縁側に腰掛けた。

 

 

あまり手入れがされてないむきだしの土の上に、飛び石があって桜の木の下まで続いている。

 

 

ここの桜は―――長生きだ。

 

 

他ではもうとっくに散っちゃったけど、ここのだけは未だ満開を誇っている。

 

 

淡い紅色をした花びらが緩やかな風にのって、ひらひらと舞っていた。

 

 

空を見上げると、まるで上質なビロードを敷き詰めたような瑠璃色の空が広がっている。

 

 

桜の花びらが舞って、まるで点在する星と一体化しているように見えた。

 

 

 

 

 

死んだ母さんはここの眺めが好きだった。

 

 

あたしが生まれたときも、この景色を見て名前を決めたそうだ。

 

 

もう16年前の話か……

 

 

叔父貴は当時、11歳だった筈。

 

 

 

 

 

11でも―――

 

 

 

 

恋はするんだよな。

 

 

 

 

 

P.54


 

あたしが掌を宙に捧げると、桜の花びらが一枚ふわりと舞い落ちてきた。

 

 

 

 

「きれいな桜だね」

 

 

 

ふいに背後で声がして、あたしは文字通り飛び上がりそうになった。

 

 

「び!……くりしたぁ」

 

 

パジャマ姿のメガネが、背後に立っていた。

 

 

「そんなにびっくりすることないじゃない」

 

 

メガネはくしゃっと苦笑いをした。

 

 

 

 

 

いや……だって、全然気配を感じなかったぜ、こいつ……

 

 

まるで空気のように、風のように。気付いたら、そこにいる。

 

 

あたしは薄ら寒い何かを感じた。

 

 

背中を嫌な汗が伝い落ちる。

 

 

 

 

 

 

「ど、どうしたんだよ。こんな時間に」

 

 

「眠れなくって。桜でも見たら気分が落ち着くんじゃないかって思ったんだ」

 

 

「あ、そう」

 

 

あたしは内心の動揺を悟られないようにことさら何でもないような顔をした。

 

 

「それ、なに?」

 

 

あたしの手の中のマグカップを指でさす。

 

 

「ココア。お前も飲む?」

 

 

「じゃぁ半分下さい」

 

 

にっこり微笑み、あたしの隣に腰掛けるのはいつものメガネだった。

 

 

 

 

 

P.55


 

ココアのマグカップを手渡し、あたしは体育座りをして頬杖をついた。

 

 

何となく、桜の木をぼんやりと見やる。

 

 

『朔羅……』

 

 

あたしの愛しい人……叔父貴はいつもあたしを優しくそう呼ぶ。

 

 

叔父貴の好きだった人が愛した花の名前を……呼ぶ。

 

 

まるで宝物のように、愛おしそうに。

 

 

そう、叔父貴はいつだってあたしに優しい。

 

 

あたしが困ることはしない。

 

 

だからメガネだってあたしに危害を加えない。

 

 

 

 

心のどこかでそんな安心感みたいなものはあった。

 

 

ううん、今だってそれは変わってない。

 

 

 

 

 

「やっぱり、似てないなぁ」

 

 

ふいにメガネが声を出したので、あたしはゆっくりと顔をメガネに向けた。

 

 

「何が?」

 

 

「君の叔父さんと、君だよ。血縁者だからどこか似てると思ったけど。まぁ男と女の違いもあるけどね」

 

 

メガネはにこりと笑った。

 

 

悪意も下心も感じられない、のんびりとした笑顔。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。だって、叔父貴とあたしは血が繋がってねぇもん」

 

 

 

 

P.56


 

あたしの言葉にメガネは目をぱちくりさせた。

 

 

ヤクザは擬制の兄弟間で絆を深める。

 

 

そこには確かな血の繋がりなんてこれっぽっちもねぇのに、絆は永遠で、絶対的な主従関係が成り立つ。

 

 

つくづく不思議な世界だ。

 

 

そんなんで誰も何も違和感や疑問をを抱かない世界。

 

 

 

 

 

でも……叔父貴とあたしの関係はそれとも違う。

 

 

 

 

「あたしの母親の両親はそれぞれ再婚で、お互いに連れ子を連れての結婚だったんだ。

 

 

だからあたしの母親とその弟の叔父貴は血が繋がってない。

 

 

だからあたしたちは、戸籍上では血縁者だけど、実際に血の繋がりはねぇんだ」

 

 

 

「そう……だったの…」

 

 

ちょっと意外という感じでメガネは複雑に笑った。

 

 

「朔羅さんのお母さんは、きっと朔羅さんに似てきれいだったんだろうね」

 

 

メガネはちょっと瞳を伏せると、口元に笑みだけを残して物憂げに笑った。

 

 

あたしは視線を桜の木に戻すと、舞い散る桜の花びらの一枚一枚を目で追った。

 

 

 

 

きれい……

 

 

 

なんて男に言われたのは初めてだ。

 

 

嬉しい…というより、今はちょっと悲しい。

 

 

 

あたしは心臓の辺りをぎゅっと手で握った。

 

 

肌に跡が残るぐらい強く。

 

 

 

 

 

 

だって叔父貴は……

 

 

 

あたしに母さんの姿を重ねているから。

 

 

 

 

 

 

 

P.57


 

そう言えばこいつどこまでうちの事情を知ってんだ?

 

 

母親が死んでるってのは知ってるという素振りだ。

 

 

「朔羅さんのご両親が亡くなってることは琢磨さんに聞いてるよ」

 

 

「琢磨さんん!?」

 

 

あたしはメガネを見て素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「だって、戸籍上ではそうだけどお父さんって呼ぶ歳じゃないし、お兄さんでもないし。琢磨さんが一番しっくりくるかな、と」

 

 

メガネは何がおもしろいのかクスクス笑った。

 

 

何だかからかわれてるようで、あたしはふいと顔を逸らした。

 

 

 

何だかなぁ。

 

 

同じ歳だってのに、こいつは妙に大人びてる。っていうか、世慣れしてる感じだ。

 

 

それともあたしがまだまだ子供ってことなのか?

 

 

 

 

あたしはもう一度メガネの横顔を見た。

 

 

メガネは口元に優しい笑みを湛えたまま、ココアのカップに口をつけてる。

 

 

わっかんねぇな……

 

 

 

 

「分かんなくていいんだよ。今は……」

 

 

 

メガネは視線を前に向けたまま口だけを動かせた。

 

 

「え?」

 

 

何で?何であたしが考えてたこと、こいつには分かったんだ!?

 

 

 

P.58


 

お前はエスパーかって突っ込みを入れたかったけど、やめた。

 

 

 

 

 

今は……

 

 

 

てことは、いずれ分かるってことだよな。

 

 

叔父貴だってそう思ってあたしに事情を話さなかったんだ。

 

 

今は叔父貴を信じるかない。

 

 

 

 

「はい。ココアありがとう。おいしかったよ。ごちそうさま」

 

 

メガネはあたしにカップを預けると、あたしに向き直った。

 

 

笑顔を湛えたままあたしをじっと見る。

 

 

澄んだ琥珀色の瞳の中に月の光が浮かんで金色に見えた。

 

 

 

 

きれいな……色だと思った。

 

 

 

あたしの知ってる人間の中でもこんなにきれいな瞳の色を持つ者はいない。

 

 

 

 

 

そうぼんやり思ってると、メガネの顔が近づいてきた。

 

 

というか、気づいたらメガネの白い喉元が目の前だった。

 

 

くっきりとした喉仏に男の美しさを見た。

 

 

何て考えてる場合じゃねぇ!

 

 

 

 

 

 

チュ

 

 

 

 

 

 

時すでに遅し……

 

 

メガネの柔らかい唇があたしの冷たい額に優しく触れたのは一瞬だった。

 

 

 

 

 

P.59


 

「ば!バカ野郎!!何してんだよ、てめぇっ!」

 

 

あたしは慌てて両手でおでこを覆った。

 

 

あたしのおでこにキスしていいのは叔父貴だけだっ!!!

 

 

「何って、お休みのチュー」

 

 

メガネは平然と言う。

 

 

ちっとも悪びれてない。

 

 

「はぁ!?」

 

 

どんだけ間抜けなんだ、って声が出た。自分でも情けなくなる。

 

 

「挨拶代わりだよ。って、日本ではしないの?」

 

 

「日本ではって……あたりめぇだ!!!お前今までどこにいたんだよ!?」

 

 

「あれ?琢磨さんから聞いてない?僕、2年間アメリカ留学してたんだ」

 

 

アメリカ留学!!?聞いてねぇよっ、そんな話。

 

 

「下宿先では、その家のおばさんは毎日してくれたよ?」

 

 

ちょっと小首を傾げて悪戯っぽく笑う顔は―――

 

 

 

 

 

憎めない……っつうか、不覚にもドキリとさせられた。

 

 

って言うか、

 

 

 

「てめぇ、これ以上のことしてみろ!?東京湾に直行だっっ!!!」

 

 

メガネは一瞬何を言われてるのか分からないという風にキョトンと目をまばたいた。

 

 

数秒遅れで、手をポンと叩くと、

 

 

 

 

 

 

「ああ。そういうことね。大丈夫、安心して。僕女の子に興味ないから」

 

 

 

 

 

 

P.60


 

 

 

 

―――――!!!!!!!!

 

 

女に興味ないって―――て

 

 

こいつ、ゲゲゲゲゲゲゲゲイ!!!

 

 

 

その言葉を出すのにも憚られた。

 

 

あたしはこれでもかって言うぐらい目ん玉を開いて、メガネを見た。

 

 

 

 

 

初めて見た……ていうか、会った。

 

 

 

世の中にはそんな人間も存在するんだ、と頭の中では分かっていたけど。

 

 

ホンモノに会うのは初めてだ。

 

 

 

 

 

そんなあたしの驚きをよそに、こいつは更なる爆弾を投下した。

 

 

 

 

 

 

「僕が興味あるのは琢磨さんだけだよ。

 

 

 

 

 

昔から憧れてたんだ。黄龍に」

 

 

 

 

 

 

 

はぁ―――――!!!!!!!

 

 

 

 

P.61


 

なんてこったい!

 

 

恋の波乱を巻き起こす蠍座BOYは、メガネだったなんて!!!

 

 

 

 

あたしの頭の中の数少ない配線は、繋がることなくショートしそうだった。

 

 

その中で何とか組み合わせてみる。

 

 

 

 

叔父貴とメガネ……

 

 

 

 

 

ブ―――!!!!

 

 

 

 

お、お似合いじゃねぇか!!!

 

 

あっぶねぇ!!危うく鼻血を出すところだった。

 

 

 

 

 

実際は鼻血を出すことはなかったけど、あたしは鼻を押さえた。

 

 

そうでもしなきゃ、今にでも粘膜を刺激して血が飛び出そうだったから。

 

 

 

 

 

……ん?

 

 

 

待てよ。何でこいつが“黄龍”の存在知ってんだ??

 

 

 

 

P.62


 

「朔羅さんも好きなんでしょ?琢磨さんのことを」

 

 

あたしは鼻を押さえたまま、目だけを上に上げた。

 

 

何でこいつにあたしの気持ちが分かったんだろう。

 

 

「分かるよ。だって朔羅さん気持ちだだ漏れなんだもん。気づいてないのは琢磨さんだけだよ」

 

 

またもあたしの考えを読み取ったメガネが先回りして答えた。

 

 

 

 

ちょっと不敵に笑うと、小さくウインクする。

 

 

くっそぅ、敵ながら様になってやがるじゃねぇか。

 

 

 

 

 

「僕たちライバル同士だね」

 

 

 

 

 

ライバル……ってことになるのか?

 

 

メガネはさっと立ち上がると、「おやすみ」と微笑みを残してすたすたと廊下の奥に消えた。

 

 

ライバル……

 

 

 

 

 

ちょっと待て―――!!!

 

 

 

P.63


 

その晩は眠れなかった。

 

 

何であいつが“黄龍”のことを知ってるのかって色々考えてたけど、考えてたけど……

 

 

考えてた……ケド

 

 

 

どうしても想像があらぬ方へ行ってしまう!

 

 

叔父貴はノンケだから大丈夫だと思うけど……あいつ、あのメガネ並の女より整った顔してるから、叔父貴もほだされたら……

 

 

 

ブ―――

 

 

「いけねぇ、想像したら鼻血が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

というわけで朝を迎えてしまった。

 

 

げっそりとやつれた顔をしてたら、すれ違う組のもんに心配された。

 

 

朝食もそこそこに半ば逃げるように家を出てきたけど……学校もクラスもメガネと一緒。

 

 

あたしの逃げ場なんてどこにもねぇ。

 

 

 

 

 

「朔羅おは……」よ、と言いかけたリコがあたしを見てびっくりした。

 

 

「どぅしたの?顔色悪いよ」

 

 

「いゃちょっと妄想が……じゃなくて想像が……」

 

 

ふらふらしながらリコに抱きついた。

 

 

リコはいいなぁ。ふわふわで温かくて、いい香りがして。

 

 

うちのむさくるしい野郎共と大違いだ。癒される……

 

 

 

 

って。

 

 

 

 

あたしはガバっとリコから離れた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「うん……、あたし頭の回線がいかれちゃったかも。ちょっと保健室に行ってくる」

 

 

「?」

 

 

 

やっべぇ!あたしまで変な方へ行きそうになった。

 

 

 

あたしはダッシュで保健室に向かった。

 

 

 

 

 

 

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