。・*・。。*・Cherry Blossom・*・。。*・。

 

第二章

『事件です』

気配!?

 

 

結局リコの家でそのまま喋り捲ると、夕食を呼ばれ帰るときはすっかり暗くなっていた。

 

 

時間を見ると夜の9時だった。

 

 

暗い夜道をリコと二人で歩く。

 

 

この辺は住宅街。ブロックで立てられた塀が連なっていて、所々頼りなげな街灯が道を照らしてる。

 

 

「送ってくれなくていいよ~。暗いし、危ないよ」

 

 

あたしはリコを心配そうに見た。

 

 

リコは自転車を引いている。あたしを駅まで送ったら、それで帰るつもりだ。

 

 

「大丈夫だよ。ここ暗くて人通りないし、朔羅一人じゃ危ないよ」

 

 

いやいや……ぜってー大丈夫だ。

 

 

痴漢でも強姦魔でもあたしは返り討ちにする自信があるからな。

 

 

だてにヤクザの娘やってるわけじゃねぇよ。

 

 

それよりいくら自転車だからと言っても帰り道のリコが心配だ。

 

 

でもリコは慣れているせいだろうか、相変わらず元気に話しに夢中になっている。

 

 

あたしもリコとの会話は楽しいから、しばしそんな不安が薄らいでいた。

 

 

 

 

 

油断してた……って言ってもいい。

 

 

 

 

 

ヒタっヒタっ……

 

 

 

5分ぐらい前からずっと押し殺した足音があたしたちの後ろから近づいてくる。

 

 

リコの話を聞きながらも、あたしは眉間に皺を寄せ、その足音に耳を傾けた。

 

 

押し殺しているのに、その足音は乱暴で不快な音だ。

 

 

尾行に慣れてない人間で、しかも明らかにあたしたちを狙っている。

 

 

人数は―――

 

 

二人……いや、三人。

 

 

 

 

 

 

 

 

それにその足音とは全く異なる気配を一つ感じる。

 

 

足音はしなかったが、こっちも明らかにあたしとリコの動向を探っているようだ。

 

 

 

まるで闇の中を徘徊する獣のように、しかし不思議と殺意や悪意を感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「リコ、走るよ。自転車に乗って」

 

 

あたしはリコの手を緊張した面持ちで掴むと、背後の人間に気づかれないよう声を潜めた。

 

 

「え?どうしたの?」

 

 

「いいから!」

 

 

リコが自転車に乗っているのを待っていられない。

 

 

敵はすぐ近くに迫ってきている。

 

 

あたしは乱暴にリコの手を引くと、走り出した。

 

 

「え!ちょっ!!朔羅!!」

 

 

自転車がリコの手から離れて派手な音を立て横倒しになる。

 

 

何が何だか分からないようだが、リコはあたしの只ならぬ剣幕に押されたように走り出した。

 

 

あたしたちが走り出したと同時に、背後の足音が急に音を立て始めた。

 

 

どうやらあたしたちを追ってくるようだ。

 

 

「え?何!?」

 

 

リコがようやく状況を把握したのか、声を振るわせる。

 

 

ただの痴漢じゃない。それよりもっと性質の悪い強盗か、強姦魔かもしれない。

 

 

「急いで!」

 

 

あたしはリコの手を引っ張り先を急がせた。

 

 

突き当たりはT字路になっていて、そこを左に折れるとあとはひたすらまっすぐ走るだけ。

 

 

その先は駅に繋がっている。

 

 

早く!

 

 

あたしたちはT字路に差し掛かった。

 

 

そのとき前方からパッともの凄い強さの光を感じ、あたしは目を背けると脚を止めた。

 

 

 

 

 

 

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「逃げても無駄~♪」

 

 

前方から声がして、あたしは顔を覆った手の間から様子を伺った。

 

 

五人の若い男がポケットに手を突っ込んでにやにや笑いを浮かべながら突っ立ってる。

 

 

大学生か、もちょっと上だろうか。髪を派手な色に染め上げ、服をだらしなく着崩している。

 

 

ヤクザのチンピラよりももっと格下の男だ。筋もんじゃないことが分かる。

 

 

バタバタバタ!!

 

 

後方からも乱暴な足音が迫ってきて、あたしたちのすぐ後ろで止まった。

 

 

振り返ると、あたしの予想通り三人の若い男たちが立っていた。

 

 

「ったく!手こずらせやがって」

 

 

「まぁそう言うなよ。すっげー上玉じゃん♪やっりー☆」

 

 

前方の男たちの一人が下卑た笑いを漏らす。

 

 

「さ…朔羅……」

 

 

リコが怯えた声で、あたしの腕をぎゅっと握った。

 

 

リコの手は可哀想なぐらい震えている。

 

 

ち!

 

 

リコがいなきゃ、こんな奴らすぐにでも倒してやるのに。

 

 

「……大丈夫」

 

 

あたしはリコを安心させるためにリコに囁くと、男たちを一瞥した。

 

 

「こっわ~!睨まれてるよ。俺ら」

 

 

ケタケタと笑いながら、男たちがあたしたちの周りをゆっくりと囲む。

 

 

あたしは素早く辺りを見渡した。

 

 

T字路の左も右も道を塞ぐようにワンボックスカーが横付けされている。

 

 

来た道を振り返ると、こっちにもセダンタイプの車が道を塞いでいた。

 

 

周りはブロック塀。飛び乗れない高さじゃないけど、リコがいるからそれも無理だ。

 

 

 

退路は断たれた―――か……

 

 

 

どうする?

 

 

短い間でぐるぐると考えだけが巡る。

 

 

 

「大人しくしろよ。そしたら痛い思いしなくて済むよ?」男の一人が舌なめずりをして一歩踏み出した。

 

 

 

あたしはリコに分からないよう小さく拳を構える。

 

 

 

 

そのときだった。

 

 

 

 

 

 

 

「待ちいや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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空気をも震わす良く透る、それでいて鋭い声音が頭上から降ってきた。

 

 

いや、正確にはブロック塀の上の何者かが声を発したってことだ。

 

 

あの、得体の知れないもう一人の気配。

 

 

この声の感じ、明らかにこいつらの仲間じゃないことが分かる。

 

 

 

 

 

 

こいつは……こんな野郎どもより数十倍も格上だ。

 

 

 

 

 

街灯の弱々しい光の中で、その上の人物の顔が見えない。

 

 

でもどうやらブロック塀の上に両足で立ち、しゃがみ込んでいるようだった。

 

 

折りたたんだ膝と、黒い編み上げのブーツ、黒いコートの裾が見える。

 

 

何もんだ!?

 

 

「何だよ。てめぇは」

 

 

男の一人が怒鳴るように声を発した。

 

 

「その女どもに手ぇ出してみい。お前ら只じゃ済まされへんで?」

 

 

関西弁……?

 

 

それもこの声どこかで……

 

 

あたしたちの周りを取り囲んでいた男共が顔を見合わせると、どっと笑い声をあげた。

 

 

「只じゃ済まさないって?何するってんだよ??大体ここは東京なんだよ。だっせー関西弁喋りやがって」

 

 

 

ひゃっはっはっは、と男たちが笑い声をあげる。

 

 

塀の上の男はゆっくりと膝を伸ばし、立ち上がった。

 

 

 

「カッチーン。お前ら今、日本中の関西人敵に回したんやで」

 

 

 

 

 

男をとりまく空気が……変わった……

 

 

 

周りの男たちは気づいていない。

 

 

 

あたしはごくりと喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

「覚悟しいや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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低い声。ドスを利かせた声。

 

 

こいつ……場慣れしてる。カタギじゃねぇ。

 

 

「朔羅……」

 

 

リコが不安そうに怯え眉を寄せて、あたしを見た。

 

 

「大丈夫……」と言いかけて、あたしは勢い良く振り返った。

 

 

もう一人……得体の知れない何者かの気配がT字路の向こう側から迫ってきている。

 

 

あたしは急いで前に視線を戻した。

 

 

「いてまえ」

 

 

塀の男が顎をしゃくったと同時に、あたしは背後を振り返った。

 

 

それとほぼ同時にあたしのすぐ後ろにいた男たちが闇へと引っ張られる。

 

 

「何だてめぇ!」男の怒鳴り声が聞こえて、それはすぐに悲鳴へと変わった。

 

 

何かがぶつかる音がして、人が地面に打ち付けられる音に続く。

 

 

その間5秒。

 

 

ぞくり、と背中を嫌な悪寒が走る。

 

 

仲間がいやがったのか?

 

 

「な……何!?」

 

 

リコはもう目に涙を浮かべていた。

 

 

あたしはぎゅっとリコの手を握ると、彼女を庇うように後ろに隠した。

 

 

「何だてめぇ!!あいつらに何した!?」

 

 

前にいた男たちが次々に喚いて塀の男に怒鳴り散らす。

 

 

「言うたやろ?只じゃすまさへんって」

 

 

塀の上の男が軽くジャンプして、セダンタイプの車の屋根へ飛び乗った。

 

 

 

 

まるで猫か何かが飛び乗るように、軽やかで―――

 

 

 

 

優雅だった。

 

 

 

 

 

 

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「て!てめぇ!!何俺の車に乗ってんだよ!!」

 

 

男の一人が怒鳴った。

 

 

「へぇこれあんたのかいな?だっせー車」

 

 

塀の……てか車の上の男がつま先で軽く屋根をつつく。

 

 

依然街灯の角度で、顔は見えないが腰から下は露になった。

 

 

声の割には華奢で、モデルのようにすらりとした足が長く伸びている。

 

 

「てっめぇ!!ぶっ殺してやる!!」

 

 

一人の男が拳を振り上げて、屋根の上の男に飛びかかる。

 

 

屋根の上の男はトレンチコートに手を突っ込んだまま素早く地面に飛び降り、着地すると同時に向かってくる男を素早く足払いした。

 

 

ドクリ!

 

 

あたしの心臓が一瞬激しく揺れた。

 

 

殴りかかった男はみっともなく地面に倒れる。

 

 

「なんや?威勢のいい割には大したもんやないなぁ」

 

 

「なっ!!アツヤ!てっめぇ、アツヤに何してくれたんだ!!?」

 

 

周りの男たちが一斉に声を張り上げ、それぞれ拳を握りコートの男に向かっていった。

 

 

四人、ううん五人一斉にだ。

 

 

「キャァァア!!」

 

 

あたしの背後でリコが悲鳴を上げる。

 

 

コートの男は素早く腰を捻ると、男たちに回し蹴りを食らわした。

 

 

一人が地面に倒れ、向かってくるもう一人の腹に今度は膝蹴りをお見舞いする。

 

 

やられた男がうめいて地面に膝をついた。

 

 

 

 

こいつ―――足腰が強靭だ。鍛え抜かれている。

 

 

 

 

そしてこの動き……

 

 

一瞬の隙もねぇ。計算しつくされた、いっそ芸術とも言えるその動きには一種の美しさを覚える。

 

 

男は僅かに見えた薄い唇ににやりと笑みを湛えている。余裕すら感じた。

 

 

 

 

 

それにこいつのは喧嘩じゃねぇ。まるで軍隊の動きそのものだ。

 

 

 

 

 

 

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こいつ。

 

 

あたしの予想している男なら―――

 

 

間違いない!

 

 

あたしはリコを振り返った。

 

 

「リコ!あたしが良いって言うまで目を閉じてて!」

 

 

「え!?何で……」

 

 

「いいから!!絶対開けちゃだめだよっ!」

 

 

あたしが眉を吊り上げてリコの両腕を掴むと、その剣幕に押されてかリコは何とか小さく頷いて目を閉じた。

 

 

あたしの考えが当たっているなら―――

 

 

あたしは走り出した。

 

 

コートの男の右と左にあたしたちを襲おうとした男たちが拳を振り上げてコート男に向かった。

 

 

挟み撃ちか!

 

 

そう思った瞬間、コート男は軽やかに身を翻し、宙返りをするとセダンのボンネットに飛び乗った。

 

 

黒いコートの裾が翻り、中の裏地がちらりと見える。

 

 

それは街中で良く目にするバーバリー柄だった。

 

 

バーバリーのマフラーが欲しかったんだけど、高かったんだよなぁってそんなこと考えてる場合じゃない!!

 

 

何てぇ跳躍力。あたしが睨んだ通り、足腰が異常な程鍛え上げられてる。

 

 

コート男に向かっていた男たちはそれぞれ勢いをつけた仲間のパンチを食らってみっともなく地面に転がった。

 

 

 

コート男がボンネットの上にしゃがみ込み、頬杖をついた。

 

 

「あ~らら。相打ち?みっともないなぁ」

 

 

その声音には楽しんでいるような色を含ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

こいつ……

 

 

 

 

 

あたしはボンネットから1メートル程離れたところで脚を止めると、ボンネットの上のコート男を睨み上げた。

 

 

 

 

 

 

「あんた。虎間だろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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男の口元の笑みが消えた。

 

 

まるで拭い去るようにきれいにその表情が消え去った。

 

 

「だったらどないするん」

 

 

虎間がちょっとめんどくさそうに答える。

 

 

どうするって―――考えてなかった!!!

 

 

でもっ!!

 

 

聞きたいことは山ほどある!

 

 

「とっ捕まえて、あれこれ吐かせてやるよ」

 

 

虎間はくっくっと低く笑うと、

 

 

「えらいこっわいお嬢さんやな。まぁ捕まえられるンなら捕まえてみぃ」

 

 

とまた不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「やってやるよ!」

 

 

あたしは走り出した。

 

 

それと同時に地面に転がっていた男がむくりと起き出す。

 

 

「お前も仲間だったんか!!?」とあたしを見て大声を出すと、懲りずに拳を振り上げあたしに向かってきた。いつの間に出したのか、手には切れ味の良さそうなナイフを握っていた。

 

 

「ちっ」

 

 

あたしは小さく舌打ちすると、素早く向かってくる男の後ろに回りこんだ。

 

 

男の腕を捻りあげると、脇の下から脚を振り上げ手に持っていたナイフを蹴落とす。

 

 

カランっとナイフが小気味良い音を立てて地面に落ちた。

 

 

「お~♪やるなぁ」

 

 

虎間がボンネットの上で楽しそうに声を上げると、軽く手を叩いた。

 

 

てっめぇ!見てないで助けやがれっっ!!

 

 

怒りがふつふつと沸いてきて、あたしは男のもう片方の腕を押さえ込むと、男の背中をぐっと逸らさして膝蹴りを入れた。

 

 

「ぐっ!!」

 

 

男が呻いて力が緩んだのを確認すると、あたしは身を翻して男の頭を掴み、車の窓ガラスに叩き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

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悲鳴をあげて男がその場にずるずると倒れこむのを確認すると、今度は虎間にやられたもう一人がこっちに向かってくる。

 

 

今度はナイフを持っていなかったけど、目が血走っていて何やら分けのわからない言葉を口走っていた。

 

 

男があたしに向かってくると同時に、あたしは運転席のドアを勢いよく開き、力いっぱいそいつの体にドアパンチを食らわせてやった。

 

 

強烈なドアのパンチを食らって男はうめき声を発する間もなく、地面にずり落ちる。

 

 

あたしは両手を叩いて、埃を払う仕草をし、ボンネットの上で呑気にあぐらをかいてる虎間を見上げた。

 

 

「降りてこいよ」

 

 

あたしの言葉に虎間は笑みを浮かべ、逃げることもせず素直に従った。

 

 

立ち上がり、飛び降りようとする。

 

 

 

 

 

 

 

虎間の足が浮いたのを確認して、あたしは拳を構え勢いをつけて殴りにかかった。

 

 

 

 

 

ガッ!

 

 

 

 

短い音がしてあたしのパンチは虎間の脚によって阻止された。

 

 

右足はちゃんと地面に着いて、左足をまっすぐに伸ばしあたしのパンチを受け止めている。

 

 

虎間の脚と、あたしの腕がきれいに交差していた。

 

 

 

 

 

じん――っと腕に痺れを感じる。

 

 

重い!!

 

 

こいつ……やっぱ脚がいい。

 

 

 

「いいパンチしてんなぁ。でも、四割…いや三割程度やろ。あんたの力はこんなもんやあらへんな」

 

 

虎間は脚であたしの腕の感触を確かめるようにちょっとだけ左右に振った。

 

 

「あんたもだろ?本来の力の三分の一も出してねぇんじゃねえか?」

 

 

虎間はくっと笑った。

 

 

 

 

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依然、乏しい明かりの中で虎間の顔は見えない。

 

 

互いが、互いの力量を探るように少しも動かずに牽制し合う。

 

 

虎間の伸ばした脚のせいで、あたしは一歩も近づけなかった。

 

 

そう、これが奴の間合いだ。

 

 

長い脚が憎らしいぜ。

 

 

でも詰めた距離で一つ気づいた……

 

 

こいつ、意外と若い。きっとあたしと同じぐらいの年齢だ。大学生……いや、もしかしたら高校生かもしれない。

 

 

 

 

 

「正体を現せってんだ!」あたしは怒鳴った。

 

 

「そうはいかんのや。男は秘密が多いほうがかっこええやろ?」

 

 

あたしを茶化すかのように笑うその言葉に余裕を感じた。

 

 

「余裕ぶっこいてんじゃねぇ!」

 

 

あたしの言葉に虎間はまた低く笑った。

 

 

「何がおかしい!?」

 

 

「ほんま噂通り、血の気の多い娘さんやなぁ思うて」

 

 

「う、噂ぁ??」

 

 

どこで噂が流れてるんだよ!!ってか誰だ!?噂を流した奴ぁ!?

 

 

「お、お前は!もっと凶悪で残忍だって噂が流れてるけどな」

 

 

「そら嘘やわぁ。だって俺平和主義者やもん」

 

 

ど!どこがっ!!この状況で平和主義者を語る!?

 

 

「それよりええの?お連れさん、さっきからずっと震えてるけど」

 

 

虎間はリコの方をちょっと指差した。

 

 

リコ!!

 

 

あたしはリコに顔を向けた。

 

 

その瞬間だった。

 

 

 

 

 

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